たけまる通信 ヴァナディール漫遊記 忍者ブログ
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ようつべ見てたらこんなもの発見w

つ~か、わざわざ声優使ったのかw

しかしなあ、ウィンダスのBGMが懐かしい・・・・

いまさらヴァナには帰りたいとは思わんが、BGMを聞くと懐かしさがこみ上げてくるな・・・w

壊滅状態だったリングシェルも、DQ10で引退した面子とまた遊んでるしな~

もげたろう~~~~~

音信不通だぞw

連絡よこせ~~~~~

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盆踊りの開会式は手の院屋上。

人が溢れてえらいことになってました。



開会式の模様。



ミッションドラゴン戦。

当時LSは10人以上いたので、未クリアののLSメンのために何度も行きました。





骨骨ファンタジー時代、それは樽戦士が最も輝いていた時期でしたw

その輝くためにはアースクラッシャーが必須で、そのスキル上げをしているとこです。



年があけて2003年。

レベルも60近くなり、最大のイベント闇王戦へとなります。

嫌がらせの限界クエも、LS総出で終わらせるなどして挑みました。







毎回激戦で、どのLSメンも最高に楽しかったといってました。

無論レベルキャップ55では無理で、60になったからこそのLSイベントでしたが、

レベルが上がればという、いい時代でもあったわけです。

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もともと数ヶ月でやめる予定で、まあチョコボ免許取ったら位と引き際を考えてたんですが、

LSに入り、LSメンとの出会いですべてが変わりましたw

LS総出でジュノへ駆け上がり、

念願のチョコ免許を取得して、飛ぶような速さのチョコボが楽しくて乗り回してました。



地獄のナイトクエストへ行く途中です。



そして地獄のダボイへw

インビジやスニークが実装前なので、経験値が減るどころかレベルすら下がるといわれたナイトクエです。

この川を行くのが近道ですが、魚が絡むのと、その処理をしてるあいだに中央島の弓オークが絡んで大トレインを引き起こしたりします。

そのため、1回で全員が取れないこともしばしば。

何度も行く羽目になり、取れてないPTメンバーのために囮になったりして経験値が減るのです。

当時はナイトクエがサンドで受けれるので、サンドでの募集が非常に多かったです。



ある日サンドに戻ると、へんな集団がいてLS募集をしてました。

その名はサブリメンw

サブリガをこよなく愛するSABU氏がリーダで、全員ががサブリガの姿に仰天しました。



初のユーザーイベント盆踊りです。

なぜかウィンダスが祭り会場で、人が溢れて重かったのが印象に残ってます。



今なら各種花火を打ち上げたりするでしょうが、当時はそんなものはまだ実装されてませんでした。

エモーションでみんな踊りまくってました。

この直後に行われた石の区のダンスコンテストなんてのもありました。



船に乗っていると、海賊にも遭遇したりしました。

クエスト目的とかで何度も船に乗って海賊待ちもしました。

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2002年6月のVUでスクリーンショットの実装で始めて撮ったSSがこれ。

レベルも7になり、初期装備からレザー装備へとなり、さらにレベル10となってクレイモアをマウラで買ったときのSSです。

バザーでシェルイヤリングを売って金策して買ったものです。



シェルイヤリングを量産するために足しげく通った骨ギルド。

このころはまだ無制限に骨くずを買えたのでギルさえあれば量産可能だったのです。



量産したシェルイヤリングの行商と各地の探検の為に船でほかの大陸へ行くところです。

レベル10だったので絡まれると即終了(まだレイズなど持ってる人はいなかったw)。

幸いにして人がたくさん移動していたので、その後ろを走り抜けてサンドやバスへと行きました。



初めてのバストゥーク。

その人の多さに驚きました。

そしてHPの近くに並んだバザーの多さや募集シャウトの多さにもびっくり。

国が違うだけで、ウィンダスとこれだけ違うのかと驚きました。

レベル11になるころ、装備の一新の機会が来ましたが、

スケールメイル装備のかっこ悪さに愕然w

しょうがないのでブラス装備を購入してレベル12になったころ帰国の途に着きました。



明け方を待ってマウラより出発して、ほかの人の後ろを走ってタロンギ方面へ。



そのときに通りすがりに見つめられてPTに誘われて、鳥でレベル上げしました。

あまりの美味しさと楽しさに悶絶w

OPでシグネットをかけてHPをここに設定して何度も戦闘不能でも即復帰で戦いまくりました。



PTでは命中率の悪いクレイモアは外して片手剣と盾装備でしたw

この日のPTは終わってタロンギで落ちて、翌日も誘われたのでタロンギで狩りながら6人そろえて再びブブリムの鳥へ。

鳥がまずくなるころにはゴブリンへと獲物を変えてレベル上げを続けたある日。

そんなときに初めてLSに誘われて入団したのです。

そしてこれが悪夢と狂気の10年間の始まりでしたw

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帰って来ましたウィンダスへ。

アビセアが出る前はここにホームポイントをしてましたが、

ヨアヒムがジュノ港に実装されてから長らくジュノが拠点でした。

そういう意味では久しぶりの帰国です。



競売所前。

確か競売所開設が6月だったので、最初はここで何をするのかが興味津々でした。

そのために初期の金策はバザーが中心でした。

競売所が一時閉鎖になったときは南サンドの競売前に寝バザーが溢れてました。



思い出の骨ギルド前。

始めたときは装備品の値段の高さで常に金欠でした。

ファミ通かなんかにシェルイヤリングが売れるという記事を見たので、

早速骨ギルドに入って作ったモンです。

しかし作ってバザーしても売れず、困り果てて他国人が多いらしいマウラ方面で行って見ると、

骨ギルドはウィンにしかないので飛ぶように売れたので、

早速量産したモンです。

しかも当時のギルドの素材は無制限で買えたので、全財産つぎ込んで量産したモンです。

後にやれ稼ぎ過ぎだの儲けすぎだのと言って、素材在庫システムになって取り合いが始まったのです。

思えばこれが後のギスギスオンラインの走りでした。

量産したシェルイヤリングの販売のためにマウラまで行って、さらにと欲張って船に乗ってサンドとバスへ回ったのが、

サポ無しのレベル10の樽戦士でしたw

初めてのラテーヌでBattering Ramの追い掛け回されて恐怖したのは今も鮮明に覚えてますw

死ぬ気で走って逃げ切ったときは、汗で手がびっしょりでしたw




森の区噴水前。

2002年7月下旬。

初めてのユーザーイベント、ウィンダス盆踊り祭りが行われた場所でした。

あまりの人で、サンドの領事館の扉が表示されなくなり、出れなくなった人もw

手の院屋上で行われた開会式。

石の区の英雄の家の付近で行われたダンスコンテスト。

あれほど活気があったのは後にも先にもあの頃だけでした。






モグハウスに入って、収納に入れておいた初期装備に着替えて準備完了。




生誕の地であるウィンダス港へと出てみました。



10年前ここに誕生したタルタルですので、

ここで落ちることに。

本来はサービス終了まで頑張るつもりでしたが、

ITOUとその一派がヴァナを無茶無茶にしすぎました。

おかげで何もすることが本当に、本当に無くなってしまいました。

アビセア以降は本当に酷く、クソコンテンツ満載。

FF11の最大の売りである、あのすばらしい世界設定を生かしたミッションクエストは何もなし。

気軽の楽しめるものは皆無で、

すべてが廃基準。

すべてが装備のためだけの疲れるだけのコンテンツばかり。

1年目のような楽しいヴァナ・ディールは消えうせました。

フレンドリストはオフラインばかりとなり、LSメンも激変。

インしても残ったLS面と雑談して3DSのゲームしたりTV見たりで、その会話ばかり。

たまにあるセラノエ連戦に行ってゴミ収集をするだけ。

どうしてこうなった・・・・・・

と愚痴をこぼしつつ落ちる時間にw





さてこれで一応の区切りです。

別にキャラ削除はしないので、松井さんの頑張り次第では戻ってきますが、

現状見る限り、また新ディスクの内容を見る限り、

それは難しいかもしれませんw

誰がいまさら牧場見たいのを望んだんでしょうかねw

なんですか、あのアトラスもどきはw

などど思いながらメニューを出してシャットダウンボタンを、ぽちっ!

またヴァナディールで会う日が来るかもしれませんが、

ここで/goodbyeヴァナディール

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数年ぶりに乗った船。

海賊でも出ないかなと思いながらの乗船でしたが、出ませんでしたw

海賊、空気嫁よw



チョコボ免許を取得できる前は、この船に嫌というほど乗りました。

人もいっぱいいましたが、

今となってはいるのは釣り人が1~2人。



バスの大灯台は見えましたが、

ウィンの大樹は見逃して見えませんでしたw




最初期のマウラは、セルビナのサポ取りより楽という噂が流れ、

なぜかサンド人やバス人で人がいっぱいでした。

そしてHP吸収や物理が聞きにくいボギーが相手ですので、

ウィンの黒樽募集のシャウトでものすごい活気でした。



ゴブトレインはセルビナで有名でしたが、

前述の通り、セルビナよりマウラのほうがサポートジョブ取りで先に賑わっていた為に、

ゴブトレインもこちらのほうが早くからあり、しかも砂丘よりブブのほうが道が狭いので、

こちらのゴブトレインはさらに過酷で、セルビナ以上にゴブリンが大挙してマウラまで延々と連なっていました。

その為にマウラからタロンギまでは(その逆も然り)、

夜の間の移動はご法度で朝を待っての移動が普通でした。

それでもイリュージョンが無い時代なので、帰りゴブにずいぶん絡まれていたので、

タロンギへ行く前にはマウラでHPするのが普通な時代でした。





サポもないレベル10当時、レベル上げに飽きたので、サンドーバスへの大遠征をしたあとに、

マウラからタロンギへ向かっている途中に樽樽ずに誘われて6人で鳥焼きPTしたのは、今となってもいい思い出。

この当時はPTしたら解散するときに全員とフレンド登録するのが当たり前でした。

フレンド登録してある人で、LS関係以外では、このころ登録した人が1番多かったです。

このころのレベル上げは、とても強い表示が相手で、まだとてもとても表示が実装される前でした。

チェーンもMBも実装前で、後に流行ったつよでTPためてとてとてで連携して稼ぐというよりも前なので、

単品で経験値160~200を常に狙うのが普通でした。

その為に戦闘不能になること数知れずw

しかし誰も経験値ロストも気にせず、

ブブ入り口やOPでホームポイントをして、戦闘不能でも即復帰のゾンビ作戦で大盛り上がりでやってました。

あのころのPTは今でも楽しい思い出。

あれ以上の興奮とテンションの高さは、後に1度もなかったです。




タロンギ峡谷。

ダルメルを見たときの衝撃は忘れられませんw

(ウィン森の区の牧場にもいますが、当時はそんなものを気にしてる余裕はなかったw)

ウィン人は、タロンギからブブへ行く切り替えでよくPT募集をしてました。

樽とミスラの国なので、慢性的な挑発不足、つまり戦士不足でした。

ここでPT希望出せば、戦士はすぐに誘われました。





ということなので、マウラで1番最初のジョブの戦士に戻っての帰国を目指しました。

しまったwマウラでクレイモアを買っていけばよかったw

と思いながらサルタバルタを劇走中w




ウィンダス森の区を出てすぐ右へ行った海岸線。

10年前の5月下旬。

ここでソロで初めてのレベル上げをしてたとこですw

ここで蜂とウサギとマンドラをやってあげてました。

戦士で、ヒーリングの仕方も分からずにうろうろしてると辻ケアルくれる白樽さんがw

シグネットも知らずに戦っていたので、白樽さんに色々教わっていたのですw



ウィンダス入り口。

初めてサルタに出たのはいいものの、

街の入り口が分からずにうろうろw

人が大挙して出入りしえたのを見つけて一緒についていってようやく町の中へw

毎日新しいものの発見の連続で楽しかったあのころ。

(長すぎなのでさらに続くw)

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課金停止して最後の日、

セラノエ12連戦も不発に終わり、

ログアウトする時間が迫ってきました。

ジュノで落ちるのもなんだと思って、わが故郷のウィンダスで落ちることにしました。




ヴォイドワープやアビセアワープで戻ることも考えましたが、

ちょっと味気ないのでチョコボで帰ることにw



ジュノ上層がホームポイントだったために、セラノエが終わってごみを売り払ってチョコボを乗ったら思いがけずにバタリアに出たので、

かつてジュノへ上京したときとは逆にジャグナー経由でセルビナを目指してみようかと・・・・w

かつて虎とオークが獲物で賑わったバタのレベル上げ、足しげく通ったバタリア。

そういえば、古墳の骨骨ファンタジーや古墳護衛クエストでも良くここを通りました。




チョコ免許を目指してジュノ上京したときにLS総出で通ったジャグナー。

でかい木や虎は厄介でした。







ホラのテレポストーン。

虹がかかってました。

ここのバトリングラムの脅威は今もいい思い出w



砂丘の入り口でよくやっていたウサギ狩り。

もう誰もやってませんw



あの眩しいほど白い砂丘は今日は曇りでした。

そういえばイリュージョンになる前は、ゴブトレインやボギートレインが日常茶飯事で、

セルビナ警備隊なんてのもありました。



サポ取り全盛期には人でごった返していたセルビナも、今はすっかり過疎り、

やたら世界観を誇張して絶対認めなかったモーグリ配置も、

今ではマウラセルビナに出来ました。



船に乗るのは何年振りでしょうw

始めてマウラからセルビナ行きの船に乗ったときの興奮は10年立っても忘れられませんw

(長くなったので続く)

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プロフィール

名前 たけまる
 
出身地 ウィンダス港 
住所 カーバンクルサーバー 
  				
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